まとめばスイス

物価高の国で仏陀の如く過ごしたい

3週間毎日ブログ書いてみた感想

実際には連続とならず、2回途切れた。1回は書いてるうちに日付変わって、1日に2エントリー、もう1日はゼロに。

もう1回は、うっかり気づいたら1日飛ばしていた模様。

 

スマホタブレットからの入力は私には難しい。PCのキーボードの方が文書書きやすい。一方で、スマホだとわざわざブログを書くという作業に入るための敷居は低い。写真もスマホからのほうがポストしやすい。

スマホでざっと書いて、写真あるならつけて、後日PCでゆっくりリライトという方法がいいかも。

 

毎日書く場合は内容をしっかりと書くよりも、何かしら書いて投稿というほうにフォーカスすることになる。文字数も少なめ。

 

何かしら毎日書く場合、ネタが多くないこともあり、事実のレポートは少なくなり、自分が思ったことや感じていることの記事が多くなりがち。

これは私が今現在は事実を調べたり体験したりということを文に落とし込む力がまだ弱いから時間かかってなかなか書けないことにも原因。

 

3週間続けるつもりでいて、実際は今日までで3週超えて4週近くまでいった。これはひとえにとにかくハードルを下げたから。なるほど、何かを続けるにはとことんハードルを下げるのは有効。

 

Androidスマホのアプリではてなブログ書いていて、うっかり文字消して、undoできないのが辛い。はてなブログのアプリだとキーボードにundoのオプションが出てこなくなる。どこをいじればいいんだろう。

iPadだとうっかり消しても大丈夫で良い。

 

 

 

従業員の気持ち、無職の気持ち

去年までは会社員でした。

この時期はクリスマスギフトが従業員全員に配られていました。

物だったこともあるけれど、商品券をもらう年が多かったです。

 

今年は無職です。当然、会社からのクリスマスギフトはありません。

 

会社員時代は、チームのクリスマスディナーもありました。会社持ちです。

 

企業年金制度も(私の掛金は微々たるものだったけど)ありました。

 

法律で定められた有給休暇と病欠制度もあり、従業員の権利が守られていました。

 

仕事は大変なことも多かったけれど、厚い福利厚生があったんだなあと。

 

私の親は昭和時代のサラリーマンで、大企業は福利厚生の規模が全く違い、給与の額面には現れない優遇が多々あり、安心だから、大企業に就職するのが良いという考えでした。

 

私はそういう考えが嫌だったこともあって(それだけが原因ではないけれど)、海外に飛び出したのでした。

 

海外で留学後、偶然、大企業に就職しました。(この間に色々あったけど、はしょって一言で事実だけ書くとこうなる。)

 

なんだかんだで、当初就職した大企業やその他大組織で合計15年ほど働き続けていました。

 

15年という年月は、だいぶ長い。染まらないようにしていても染まるのに十分な年月。

気づけば、親と似たメンタリティで、企業に寄りかかっていたかもしれません。

 

来年はどんな年になるか。

仕事の探し方についても、1年たって色々抜けたところで新しい目で見られたら嬉しい。

 

15年の蓄積は1年で全部ぬけないだろうけど、自覚的に、自分が仕事としてできることと、手放してもいいことを切り離して考えようとすることはできる。

 

会社やめてちょうど1年、無職も1年の記念に書きました。

 

 

 

鍋がふきこぼれると必要以上に落ち込む

今日もついうっかり、鍋吹きこぼし、必要以上に落ち込む。

なぜか。

1。腹が減っているから。いらっとする時には腹減ってることが多い。ちょっとなんか食べるとか、水飲むとかしてみるよろし。

 

2。未だにふきこぼすから。また同じ失敗をしてしまった時の嫌さが強い。色々対応策を頭ではわかってても(火加減とか、お玉を突っ込んでおくとか、箸を渡しておくとか)、ちょっとぼーっとしてて忘れて、そういう時に限って吹きこぼれる。

 

3。誰かに責められる気がするから。これは気のせい。誰も怒らないのに。

 

4。レンジの掃除が嫌すぎるから。これはどうしても好きになれない。理由はわからない。面倒くさいからか。なぜ面倒くさいと思うか。現段階ではまだそこから先がわからない。ただむかむかする。

 

今のところ、対応できる方法は、

 

1。こぼれたミルクを嘆いても仕方ない。と何度も繰り返し呪文のようにとなえる。

2。なんか食べる。

 

くらいか。

 

ふきこぼさないよう、再発防止に努めます。と言うのは簡単だけど、実際にエラーは出る。その時になるべくダメージを少なくしたいなあ。

完璧主義と貧乏性は根っこでつながっているのではないか

適当でいいやん。と心の底から思っているなら、そもそも「適当でいい」という言葉として表面化してこないだろう。

 

もったいない精神。せっかくだから。きちんとつめつめにしたら気持ちいい。払ったお金の分の元取りたい。

 

どこかで、完璧でありたいというスケベ心があるような。

 

そしてそれは貧乏性に似ているような。

 

無駄がすき。その心は?

無駄がすきと思うことで、無駄も肥やしにしようとしているのでは。それって貧乏性あるいは完璧主義あるいは両方から来ているのでは。

それは別に悪いことでなく、それはそれでいい一方で、自分がそうありたいと望むことと、現在の自分を混同してないかということを観察してみてもいいかも。

 

貧乏性も、完璧主義も、自分がそれで困ってなかったらそれでいい。

実際の生活に支障が出ることがあったら、どうすれば支障を少なくすることができるか。

 

うまく言語化ができていないけれど、完璧主義に逆らって投稿するざます。

 

 

イタリアのクリームをジャケ買い

ニベア青缶の横に陳列されていて、思わずジャケット買いしたスキンクリーム。


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ボロタルコ Borotalco。

こういうの大好き。

 

香りは、懐かしいベビーパウダーの香りそのまま。

昭和の母は、ベビーパウダーのことをシッカロールと呼んでいて、この香りはまさにシッカロールと呼びたい気持ち。

 

このクリームを使った瞬間、日本の昭和の夏の夜、回る扇風機、お風呂上がりにベビーパウダーばふばふはたく、記憶が沸き上がってきました。

 

柔らかいのびやすいテクスチャで使い心地いいです。

 

これって、日本でいう、資生堂のなんだっけ名前忘れた、昔からある紫色っぽい化粧水とか、オロナインとか、そういう類いに属するスキンケア用品になるのかなあ?

わちゃわちゃする=人間味、なのか

わちゃわちゃ作業すると、なんかやってる感じがする。

それは、かかった時間に対する出来上がりとは別問題。

 

何度も同じわちゃわちゃを繰り返すと、いらっとしてしまうこともある。それよりも何よりも、時間がもったいない。

 

時間と手間を削減しつつ、同時に面白いと思えるような方法ってあるだろうか。

 

手順決めても、その手順にアクセスできなかったり、複雑だったり難しかったりすると、できなかったりする。だからシンプルで取っつきやすいものを。

 

自分一人だけだと、自分に対してはなあなあになりがちなので、自分を他人と思って、自分自身の時間泥棒にならないようにできたらいいなあと。

 

とはいえ、わちゃわちゃ、とか、だらだら、は、圧倒的に楽しい、という!

 

そこに鍵がありそう。

 

世の中にいっぱいいろんな方法が出ているけれど、実際に自分に合った、自分にできる方法は、それらを参考にしつつ、自分で決めて行くと、ちょっとコントロールが取り戻せそう。

 

楽しさに勝てるものってなにがあるかなあ。