まとめばスイス

物価高の国で仏陀の如く過ごしたい

1日1本ブログ記事書く、21日間チャレンジ(30日間ではない理由)

2020年9月に当ブログを開設してから、これまで平均的に1か月4本ペースでブログ記事を書いてきました。

12月は、1日1本ブログ記事執筆に挑戦します。ただし30日間チャレンジではなく21日間

その理由は以下のとおりです。

  • 年内に1つ、何か達成感を感じることをやりたい
  • 記事執筆がうまくなるためには数をこなす必要がある
  • 今あまり回っていない頭を少しクリアにできるかもしれない
  • 12月はクリスマスや年末年始があるため、30日間ではなく、3週間にすることで、チャレンジの敷居を少し下げる

この決心は、昨晩、ある友人と久しぶりにオンライン通話をしたことがきっかけです。

彼女はその昔ジャーナリストでしたが、海外移住などの諸事情のため、長らくの間、別の仕事をしていました。最近その仕事を辞めて、また少しづつ記事を書き始めたとのこと。

今のところ、記事を書くことではお金は少しにしかならないけれど、自分の本当に好きなことは精魂込めてやって、その他何かパンを買えるくらいの仕事を見つけたいと。

彼女の話を聞いて、まず最初に一瞬私の頭によぎったのは、彼女はジャーナリストだった実績があって、好きなことがあって、いいなあという羨望でした。

その羨望がまず条件反射で上がってきて、その後すぐに、私はなにもしていないのに、うらやましいとだけ思っているんだよなあ・・・と恥ずかしくなりました。

そうして恥ずかしくなった後、恥ずべきと思う必要も実はなくて、自分がやれることをやるかやらないかだけのことなんだよなあ。今私ができることって何だろうな。と何かできる行動を考えてみたところ、まずはブログ書きにもう少し向かい合ってみよう。と思いました。

私が、彼女、あるいは他のジャーナリストやブロガーが積み重ねてきた、長い年月と実績に、何もせずにいきなり追いつけることはまずない。

最初から質の高い記事を書こうといきりすぎず、毎日書いて数をこなすことから始めてみることはできる。

これまで月4本ペースで書いてきた理由の一つは、私は熱しやすく冷めやすい傾向があり、あんまり最初からブログブログと熱中してしまうと、すぐに燃え尽きて続かなくなるのではないかという恐れもあったかもしれません。

そうやってなんかこじんまり、自分のことが分かったような気になって、自分に制限をかけるのは、偽善、こざかしい、しゃらくさい、びびり、気にしい、完璧主義、なところから来ているかもしれない。

やらなかった場合、やらなかったことを選択したのを後悔しなければ、それでいい。

「できなかったのではなくて、やらなかった」というのは言い訳の一典型ですが、自分が良ければそれで全然問題ない。それよりも、できたのにやらなかったことで後で後悔するほうが自分にとって悪影響が出るはず。

といいつつ、あまりにも最初から大きい目標を持つと挫折しやすいし、30日間じゃなくて、21日間にしとこうっと、最後にちょっと日和見を入れました。

以上、一言でいえば、「友達がかっこいいから、私も影響されたよ!」ということだけに約1100文字かけました。おわり。